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長い冬の冷たい風が吹き付ける早朝の庭で、 幸村は、ぶん、と槍を振り回し、一人で訓練している。 そんな主を気遣って、 草の者でありながら武士と同等の扱いを受けている佐助はまた、 暖かい葛湯を用意していた。 幸村がまだ他の少年たちと変わらぬことが出来た頃より 仕えている佐助にとって、これはもう習慣となっているのだ。 ほわ、と冷え切った空気の中へと湯気が昇り、 遠くの庭からは幸村が二槍を振り回す、心地のよい音が聞こえる。 「旦那、ほい、葛湯」 「おお…、すまぬ」 普段は戦場にいることが多く、着こなす赤い服が印象に強いが、 今の幸村はあっさりとした軽装で額の汗を拭っていた。 どっと気だるさを持った体を縁側で休ませている自分の主に、 そっと作っておいた葛湯を出し、佐助は新しい着替えを隣に置いた。 ちゅんちゅんと雀が数匹連れ立って色の薄い空に飛んでいって、 もうじき日が昇り始めることを知らせた。 「長閑で清清しいねぇ、まったく」 「うむ。それに、もう春の匂いがするぞ」 「匂い?」 可笑しな表現をするもんだ、と佐助は 幸村の長い髪に絡まるように垂れていた赤い鉢巻をきゅ、と締め直す。 それに礼を言いながら、幸村は外気に晒されて冷えている鼻頭を 手で少し撫で、明けゆく空を見つめて口を開いた。 「冬の空気は漕げた匂いがするだろう? だが、今朝はそれが匂わぬからな」 「あぁ、そういえばそうだね」 「それが春になった“あかし”ということだ」 汗で塗れた服を着替え終わり、幸村が縁側から部屋へと戻ると、 佐助は少し疑問に思いながら朝の空気を嗅いだ。 幸村の言う様な違いは分からなかったけれども、 鼻腔にまとわりつく空気は確かに若干滑らかで柔らかくなっていた。 「春は遠いねぇ、」 ―冬の匂いと春の匂い