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今日は、普段の騒ぎ様よりも随分と子供たちが騒がしく、 小十郎もおや?と思って筆を動かす手を止めた。 原因など直ぐに分かり、 思わずほろりと苦笑いをその険しい顔つきに浮かべ、障子を少しばかり開ける。 ぱっと割けた視界から僅かに望める屋敷の外では ちらほらと雪が降っており、木々や塀にと次々に降り積もっていたのだ。 白いそれは奥州では厄介極まりない季節の風物詩だったが、 まだ幼い子供たちにとっては嬉しいものである。 「雪か……冬だな」 傍らに置かれた七輪の仄かな暖かさにそっと息を吐いて、 再び小十郎は筆をとって政務を始めた。 本来あまりこなさなくても良い筈のそれだが、政宗の負担を少しでも減らせればと思い、 相当の量をこなしている。 いつもなら心配するな、だとか、俺はもう大人だから子ども扱いするな、だとか喧しく口答えをする政宗だが、 今日は大人しく小十郎に政務の書類を少しばかり渡した後は自室に篭もってしまった。 奥州名物、豪雪吹き荒ぶ冬の季節の間、 さすがの政宗も無理をしてまで甲斐の国へは行くことが出来ないからだ。 それは南部の地方に住まうあの紅い男とて同じだった為に、 ああだこうだ愚痴を洩らしたりはしなかったが、憂鬱な気分になってしまうのは止められない。 (そういう態度が子供だと言っているのに、まったく殿も我侭な人だ) 黙々と書類に目を通し、極稀に筆で訂正を入れつつ、 小十郎は恐らく今は自室でぼんやりと瞑想に耽っている政宗を考えた。 巷において愛と時間は人を変えると言うが、 小十郎にとって主である政宗にも変化は確かに訪れているように思えてくる。 ただ直向に天下統一への野望を叶えようと、政宗は大河を馬で渡ろうとするが如く奮闘してきたというのに、 今の今まで(小十郎に出さえ)一度も弱音を吐かなかった。 それが、幸村と共にいる時間は駄々を捏ねたりしてすっかり素の表情に戻ったりするようになったのだ。 親心としてはそんな政宗の些細な変化はとても嬉しいことで、同時に幸村という人間のあの明るさに気づかされる。 ふと、先程から騒がしかった庭の方を小十郎が見ると、 外で遊んでいた筈の子供達が庭で何やら雪だるまを作って遊んでいる。 近場に落ちていた小石や枯葉でのっぺらぼうの雪だるまの顔を作っており、 それに時折他の子供の笑いが混じった。 ぎゅっぎゅっと柔らかい雪を固めていく音が忙しなくする様子を見て、 小十郎の肩に乗っかっていた疲れも少し取れていく。 子供というものはいつだって、その時その時に相応しい楽しい遊びを見つけるのに長けた遊びの達人なのだ。 庭に積もった淡雪が丁度照り差す夕日によって真っ赤になり、遊んでいた子供達も今はいない。 その日の夕方頃、子供達がそれぞの家に帰っていった後の庭を、 小十郎は微笑ましいと言わんばかりに見つめていた。 小十郎が見ていたのは、子供達が一生懸命、わっせわっせと雪だまを転がして作った、中くらいの雪だるまだった。 「生意気そうな目が政宗様らしいな」 単なる遊びの達人だけではなく、子供の観察眼というのも(大人にはない)一種の鋭さを持っている。 枯葉の眼帯、小石で作られた目と皮肉な笑いで飾られた雪だるまは質素ながらも情緒溢れる庭に相応しい。 この後ここに来る主の何とも言えない苦虫を噛み潰したような顔を想像し、小十郎は思わず笑ってしまった。