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とても長い、とんでもなく長い、夢を見ていた気がする。 俺は今の世界の地形を覚えていないし、知人など三人か、それとも二人か… いずれにせよ、俺は「生まれ変わった」。 適任者であり世界を導く者を見つけ出すこと、それだけしか俺はしない。 けれども、一体誰が俺を呼んだのだろう?俺は静かに、この霧の中で寝ていたと言うのに… そっと目を開き、古びた大理石の上に降り立ち、辺りを見渡した。 もちろん、俺意外は誰もいないのだけれど。 新世界であり古き世界である、このイシュロン、かつてディグナイアが望んだ平穏の土地。 俺はやっと、俺を呼んでいたのが誰か、分かった。 まだ生まれて間もない者なのだ。これから俺が導く者。 「導かれし者…。それが、“―――”、だ」 心底まで響くような呼び声がそう名乗っていたし、俺はそう世界が喜んでいるのを聞いた。 さて、どの位時間があるのか分からないのだから、なるだけ早く彼を見つけてしまおう。 *** テスラは輝く白金の剣をしっかりと両手で支え持ちながら、シエルに何やら目配せをし、立ち上がった。 「私も、お前と同じ17の時に剣に選ばれ、世界を歩き渡った」 「勿論俺も一緒にね。ずぅっと前のことだけど」 人は見た目によらないもんだよ、とシエルは 驚きで口を開けてしまったまま、あんぐりしているカイトに言った。 意外な事に、なんとシエルは国王と同年齢で、 見た目は多少なりとも(?)若くても、中身は四十路だということだった。 すっくと背を伸ばした国王テスラの右手が持つ「光明の剣」からは、絶えず光と優しげな音色が零れ落ちている。 光は、きらきらと滝の様に流れ、床の寸前で空中へと溶けていき、音色は目に見えるように透き通っていた。 神々しさを纏った光と、絶大的な覇王が手にした力が、 一つの作品であるようなそのほっそりとした刃に打ち付けられている。 カイトは思わず声にならない溜め息を洩らし、伝説上にしか登場しない剣を端から端まで目に焼き付けた。 これが、「聖なる五つの剣」―イシュロンの中心部であり、心であり、盾である、永遠の象徴なのだ。 「…あれから、今年でちょうど25年が経ったな。だが、今回はあれより大変な旅になるだろう」 「ディグナイアが目覚めただけで、か?」 「彼は、普通の裏切り者とは大分違う。遥かに危険な存在、魔境の傀儡の成れ果てだ」 魔境―その言葉を聞いたカイトの頭の中に、ぱっと一つの映像が再生されて、浮かび上がった。 もちろん、今まで見た事もない、不思議な光景と不思議な人物だったのだが。 世界の水平線が見える、世界の姿までもがみえる雲の上に、カイトは一人、ぽつんと浮かんでいた。 空から覗く世界は、まだ平らで森林は荒れ、川は道と化し、まともな人里などあまりない様だった。 イシュロンの遥か上に、つまりはカイトの浮かぶ場所のすぐ近くに、 何やら巨大な、真っ黒なとぐろを巻いた渦がある。 鏡の真正面には、赤、黄、青の光を放つ宝玉が三つ嵌め込まれた、一本の簡素な剣が 少し離れた位置で浮いていた。 そして、一本の剣より少し下の空中で浮いている三本の剣が、鏡と世界を透明な鎖で封じている。 この光景こそ幻想世界を守る「聖なる五つの剣」の本来の役目だ。 ただ、五本の内、一本だけが足りない。 ふと、カイトは誰かが自分の前方を歩いている事に気がついた。 茶髪を風に揺らされ、時折、雲の下へと沈みそうになりながらも、「彼」は歩んでいる。 長い旅をしているはずなのに、「彼」は軽装で、腰には武器など一つもつけておらず、丸腰だった。 その後姿を見ながらも、不思議なことだが、カイトはその人物にどこか親しみと哀れみを抱いた。 「彼」こそがディネン=ディグナイア、魔に魅入られたかつての勇者なのだろうか― 突如として白昼夢は終わり、 気付けば、カイトは玉座の間に設けられた椅子の上でぼんやりと空中を眺めていた。 その様子を見たテスラ王はそっと笑いつつ、過去に私も同じような体験をしたから気にするな、と呟いた。 不思議なことに、 「光明の剣」はいつの間にかテスラの手からは消え失せており、それを納めた鞘も柄も見えない。 「カイト、お前にはシエルの故郷、ウィデルス王国へ向かってもらう」 「…で、ウィデルス王国はどうやって行くんだ?陸路か、空路か?」 「勿論空路だ。陸路でフィウ・エルドンスを超えるには、今はそんな暇が無い。 シエル、後は頼む。私にはまだ、やるべきことがあるのでな」 シエルにそう呼びかけながら、テスラは玉座からすっくと立ち上がり、 真紅のマントを優雅に翻し、奥の部屋へと退出した。 一寸の乱れもない行動に少し唖然としながらも、側近代わりに近い位置にいたシエルは、 カイトとヴィルアの方へ歩み寄った。 「…さあてと、初対面の印象はどうだった?」 「案外気楽な人なんだな。あっさり重要そうなことも言っていた」 「ま、普通はそうだよ。ヴィルアと俺は慣れてるけどね」 前々から準備はしてあってね、長旅のための旅荷物はもう人数分用意してあるんだよ。 ホント、テスラは面倒臭がりなんだ。 あらよ!というシエルの何処か間の抜けた掛け声と共に、 武具や防具、面積の広いマント、小さくて収容力のある鞄が広間に現れる。 不思議な出来事が、息を呑む間もなくぽんぽんと起こるイシュロンの様子に、カイトは最初から驚かされっぱなしだ。 だが、カイトは同じ年頃の子供たちとは違って、そんなことを一々顔に出したりしなかった。 ようは見栄っ張りなのである。 「小型の飛空挺で良いよね?ヴィルアが運転してくれるはずだから、不安はないけど」 「そう買い被られると困るって、俺はただの雇われ暗殺者みたいなんだからさ」 「ごめんごめん。それじゃ…、これで失礼するね。まだ任務があるんだよ」 軍帽をきっちりと被り、背中に背負っていた木製の杖を担ぎなおしたシエルは玉座から離れ、 二人の後ろの扉から外へ出て行った。 父親と殆ど同い年だというのに、まったくもってシエルの見た目は二十歳位にしか見えない。 その時、用意されていた鞄やら武器やらを点検していたヴィルアが立ち上がり、カイトに呼びかけた。 「直ぐに出発する。ここに長くいてでもやること、はないよな?」 「当然ない」 「よし。じゃあ飛空挺が置いてある格納庫まで行って、そこから飛空挺でウィデルスまで飛ぶ。 大体時間はそう長くかからないだろう。でも、急いだ方が得だと思うしさ」 二人は鞄とマントをそれぞれ手に持ち、 ヴィルアに手伝ってもらって、カイトは武器である片手剣をベルトで吊り、肩から背負った。 そして準備が整うと、早速王宮から少し離れた場所にある格納庫から飛空挺で飛び立った。 ぽつ、ぽつ、と降り始めた小雨に耳を傾けながら、テスラ王は二人を乗せた飛空挺が飛び立つ様を見送る。 果たして彼が見ているのは過去の己の姿か、それとも先ほど会ったばかりの息子の後姿か…。 右手で唸り声を上げ始めている「光明の剣」の確かな鼓動を握り締め、 テスラ王は一人静かに窓辺から立ち去った。 こうして、物語は小雨の降り始めた、寒い昼に始まったのだった。