あの時味わった未来への絶望と自分に対する悔しさは今でもはっきりと思い出す事が出来る。 土砂降りの雨が頬を伝っていく感覚、必死に握り締めていた剣の柄、 遠くでにやりと狂気に染まった笑みを浮かべた男。 その男、ディグナイアのその優しさと強さを忘れた事は一度もなかった。 何時だって、心の中では信じ続けていた。 未来へ託す為の光と、破滅を引き起こす為の闇の二つを、 その身に秘めている事だってちゃんと心得ている。 (それでも、これしか方法はない) 自分へと向かってくる人影に向かってファドリアは咄嗟に封印を施して、 なるだけ世界の中心から離れた場所に彼を移した。 完全封印を施したからと言って安心できる訳ではない。 きっと三千年か四千年位しかこの封印も保たれない、とファドリアは感じた。 いつか世界の深淵に安置された“鏡”から、 災厄である邪闇が再び世界の平穏にその鋭い牙を向けるだろう。 自らが招いてしまった忌みし存在との世界の存亡を賭けた戦争で、 その時自分が何を出来るか、というのははっきりしない。 けれども、もう迷う時間はあまり残されていないし、 ファドリアの封印もそう長くは闇を魔境に閉じ込めてはおけないのだ。 「これは俺が俺で処理しなければ、きっと俺の罪は許されない」 神々に授けられた「神の鍵」をそっと胸元に隠し、 ファドリアは闇の存在を閉じ込めた石棺からそっと手を外すと、立ち上がった。 新時代のことを巷では光の世代と呼ぶならば、 さしずめ自分達の生きた泥沼の時代は闇の世代だろうか。 (それでも、俺はあの人に最後の最後まで付き添ってやろう) さらり、と程よく手入れのされた髪が風に揺られ、 三編みの先にある黒金の鐘がちりん、と涼しげな音を立てる。 悲痛な決意と絶望、そして希望を胸中で掻き混ぜながらも、 ファドリアの足は目的地へと揺るがない速さで歩いて行った。 *** 快晴の空にぽっかりと浮かぶ太陽が少し中央からずれた頃、二人はやっと砂漠を越え、 ヴァーチュア帝国に着いていた。 カイトは砂が少し衣服に紛れ込んでいたり、 口の中が砂の味がしたりして不満もあったが、文句は言わずに歩いた。 「で、何故俺がお前をここに連れてきたのか、っていうと、  ここの王様に頼まれたから」 「なんで国王が?」 「それは皇宮に入ってから話す」 砂漠から入る事の出来る西門は商人や旅人など、陸路で来た人々で大勢賑わい、 露店やイルブド屋があった。 機械産業中心に栄えてきた国だからか、人混みの中には繋ぎ服の様な服を着た人々も大勢いる。 「ヴァーチュア帝国は首都が一番前にあって、  首都を越えた奥地が田舎になってる」 「普通逆の方が安全じゃないのか」 「ま、それだけ実力に自信がある国なんだ」 イシュロンの食材はどれもこれも色鮮やかで、 特にカイトが興味を持ったのは真紅のバナナの形をしたルツツの実だった。 色彩はとても綺麗なこのルツツの実、 完全に熟していないと猛烈な酸味を持ち、とても食べられないのだと言う。 元いた世界の食べ物とあまり見た目は変わらないが、 味覚は比較するに及ばないほど美味しい物が多くあるようだ。 ヴィルアは道の途中で見つけた透明な水袋に似ている果物を二つ買うと、 一つをカイトに渡し、もう一つは鞄に入れた。 きらきらと日光を乱反射していて中身はきっと果汁がたっぷり入っているのかと思えば、 ちゃんと果実が入っているらしく、少し揺さぶってみても水音はまったくしない。 王城が良く見える商店街に入り、 すぐ傍にあった日陰のベンチで一息つくと、ヴィルアは先程買った果物を取り出した。 「これが首都ルディ・ガンヌ(ludi’ganne)特産イスヤの実。  綺麗で冷やすと旨い、そして何より安い」 「随分詳しいのな。ここの出身?」 「いや。俺が生まれたのは北方の極寒地。地方とかに詳しいのは職業柄」 賑やかな民族風の商店街を北に通り抜け、 しばらく歩かない内に色鮮やかなモザイクの敷き詰められた城門前広場に着く。 厳選された職人で作られた見事な橋が 建国されて間もない内に建てられた巨大な皇宮と広場とを繋いでいた。 まるで御伽噺に出てくる王城とは少し違うが、広場の燈台と燈台の間には煌びやかな飾りが渡され、 中央には白の大理石で造られたこれまた見事な噴水があった。 「帝国、っていうと軍事国家だと思われがちだ。でもここはそんな殺風景になってないだろ?」 「俺はお城なんて初めて見たから、違いなんか分からない」 「そうだった?ならヴァーチュア帝国は他国と比べると比較的綺麗な方って覚えとけば大丈夫」 その時、二人の少し前に立っていたがっしりとした黒鉄で出来た鎧を着込んだ門番がヴィルアへと声をかけた。 見た目は厳つい鎧姿だが、 どうやら中身はカイトと同じ年代の青年で、活発そうな茶髪が風にそよそよと揺れている。 「ヴィルアさん、カイト様、国王陛下がお待ちですよ」 「もう?あのテスラにしては随分早いな…。じゃ、行くか」 そして、とカイトは頭の中のメモに書き足した。 国王を呼び捨て(しかもあの、付きで)であっさりと言い切れる程、ヴィルアとテスラ王は仲が良いらしい。

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