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それは、十年に一度あるか無いか、という程の土砂降りの夜だった。 というより、昼か夕暮れか、詳しくはファドリアには分からない。 お互いに信頼し、きっと…いや、必ず二人で 彼方までの旅の目的を達成しようと誓った日から、もう随分経っていた。 廃墟群の中はとても冷たく悲しい死人と亡者の嘆き声で満ちていたが、 彼の男はそんなことで怖気づくような人間ではなかった。 恐怖や哀れなどと言った感情とは切り離されてしまった男― ファドリアがかつて信頼していた人物が剣を引き抜く。 すらり、と見事な刀身を表したそれはファドリア自身に真っ直ぐ向けられていて、 ファドリアはじっと剣を睨んでいるままだった。 だが、決して、 目の前で完全に正常な人格ではなくなった人物と剣を交わすのが怖いのではない。 衣服は土砂降りによってぼろ布そのものだったし、 長旅によって少し汚れたコートをさも大事そうに身に纏っていることからも分かる。 誰に対してでもなく胸を過ぎる苛立ちに包まれているファドリアは、 (一体…何をすれば良い?) この瞬間、一時一時、何をしたらどうこう出来るのか、皆目見当もつかなかった。 普通に生きている人が今のファドリアと同じ立場になれば、 きっと十も数えない内に卒倒するか混乱し始めてしまうだろう。 誰もが、今度こそ世界は選ばれた者達によって救済され、復元され、 元の美しい水と青々とした緑で溢れると思っていた。 事実、ファドリアも、そうなる事を心から願い、 選ばれた者達が歩む、苦痛と悲運の道を共に歩んでいたのだ。 世界中の願いは、愚かなる人々の招いた闇によって、 悉く破られ、踏み躙られ、砕かれた。 闇に魅入られてしまっては誰も彼を救えない、 とファドリアはよく人生の主である老人に教えられ、光の中で育てられた。 それが仇となった。 純粋な光そのものである存在の裏側に、 均等を保つ為の闇の存在が生まれ、広大になり、現れたのだ。 気付けばもう手遅れであって、 あっという間に多くの人々が命を奪われて乗っ取られてしまう。 闇は恐怖と脅威の存在だった。 実際、ファドリアの恐怖と脅威の存在となりえたのは闇だけではなく、 闇に魅入られてしまった人々の、その内の一人。 深く信頼し、深く愛し、お互いにこの美しくも醜い世界を救ってやろうと奮闘していた、 彼の相棒と言うべき存在である男。 そこまで深入りしてしまっていた男であったから、 ファドリアは目前の人物の首に刀身を近づけることも出来ない。 愛していた、という弱みが、 (殺す事は出来ない…) とファドリアを絶望と怒りの淵へと突き落とし、 後々は世界をも巻き込んで恐怖をばら撒き始めようとしているのだ。 ほ、と口内で荒ぶっていた息をもう一度吐き出し、肺の中を空っぽにした瞬間、 ファドリアは握っていた両刃剣を強く握り締めた。 雨粒が絶え間なく流れ落ちる速さよりも遅く、 美しい紺碧の目から絶望と希望の交差する火花と涙が出ていった。