■ ■
僕がいたリビングは先生の部屋の隣にある。
廊下をそうっと歩いて、リビングのドアに近づいた時だった。
「あ、ふ、……っ」
先生の声。それに、ベッドの軋む音と、手と水がぬめる音がした。
僕は少しだけ開いていたドアから部屋を覗き込んだ。
その瞬間、僕は覗き込んだことを後悔した。
別にそこから見たくないものを見たわけじゃない。
「これは見ちゃいけないんだ」と、素直に僕の頭はそう思った。
ベッドの中央に座り込んだ先生は、服を着ていなかった。
帽子はベッドの傍にある椅子に置かれたまま。
つまり、先生は…自分で自分を慰めていたんだ。
「は…あ、ぅっ…あ!」
忙しなく手を動かしながら、先生は声を押し殺して喘いでいる。
それは先生が、絶対に僕に見られたくない姿だったに違いないのに。
今すぐドアから離れて、何も見なかったことにしなければだめなのに。
僕の体は、頭の言う通りにはならなくて、ドアの前に佇んでいた。
でも。声を我慢しながら、少しのけぞっている先生を見ながら思う。
格好良くて礼儀正しい先生からは想像もつかないくらい色っぽい。
口端からこぼれた唾液が、つーっと首筋を辿るのを見て、僕はどきどきした。
「だめ、だ…!いけない、こと、なのに…っ」
先生は立派な大人の男性なのに、その様子は艶かしくて綺麗で。
ああ、僕はなにをやってるんだろう。先生は見られたくないだろうに。
「う、ぅ…止ま、らな…い、…っ」
手を動かしながら先生は小さく叫ぶ。
英国紳士として振舞っている先生からしてみれば、自慰なんて情けないことなんだろう。
普段の姿をよく知っているから、僕は少しだけその気持ちが分かった。
ぎし、とベッドがまた軋み、先生は乱れた呼吸のまま。
「は、ぁ…!ルー、ク…ごめ…っ」
えっ!せ、先生が思い浮かべているのって!
僕は飛び上がりそうなくらい驚き、声を必死に我慢した。
普通、こういう時に想像するのは女性のあれこれだと思ってた。
でも、今、先生は確かに僕の名前を呼んだ、ような。
そう思った途端に体の奥がむずむずしてきた。
「んあっ…!ひ、あ…!」
どことなく陶酔した、虚ろな目からぼろぼろと涙をこぼしながら、先生は達した。
僕も先生が落ち着いたのを見て、胸の中のぐるぐるした気持ちが少し治まるのを感じる。
下世話な話だけど、その、僕は先生の姿に欲情してしまっていた。
大好きだからというのもあるかもしれない。でも、さっきの先生の、あの色っぽさが原因の一つだってことは確かだ。
うっすらと紅潮した肌とか、とろんとした目つきだとか、少しだけ開いた口元とか。
先程見てしまった光景が頭の中に鮮明に浮かび上がって、僕は首を振る。
こんなこと思ったらいけない!僕にとって先生は汚しちゃいけない存在なんだ。
と、その時、先生がぴたりと動きを止めて、小さな、震える声で呟く。
「ルー、ク…?」
「!」
「もしかし、て、さっきの見て、…」
僕に気付いたとたん、先生は裸のまま、シーツに包まった。
本当は、このまま何も言わずに立ち去っても良かったんだ。
でも、覗かれた先生にとても申し訳なくて、僕は恐る恐る部屋に入った。
「先生…その、ごめんなさい!見るつもりは、なかったんです…!」
「見たん、だね」
「ごめんなさい…」
僕はしゅんとして項垂れた。
可愛い助手だと思っている子供に、そういう姿を見られたなんて、先生からしてみれば最悪なことこの上ない。
シーツから顔を出しながら、先生は泣きそうな顔で僕を見つめる。
「軽蔑したかい…?私が、君をそういう対象として見てることに…」
「いいえ!」
心配そうにする先生を励ますように僕は声を出した。
でも、しまった。ちょっと声が大きすぎた。
先生は少しびっくりしている。
「本当に?」
「はい。むしろ、僕も…さっきの先生の姿を見てたら…その…。ムラムラ?しちゃって」
「…ふふ、じゃあおあいこだ」
最後は恥ずかしくて、少しもじもじしながら僕は言った。
そんな僕に先生は優しくいつもの笑みを返してくれる。
そしてイタズラっ子のように目を光らせて、僕を自分と同じようにシーツで包む。
先生の裸が僕の手に当たって、ちょっぴり恥ずかしい。
「なんなら、ここでするかい?」
「ええっ!む、むりですよぉ…!」
「冗談だよ」
そう言って、僕の頭を撫でながら先生はくすくす笑う。
先程までの艶やかさが少し残っていて、とても綺麗な笑顔だな、と僕は思った。
■
救いようもない愚者は誰だ
|