「木よ お前の存在はさびしい  犬がきて 人がきて  犬がゆき 人が往った               ―林野四郎 「冬の木」より抜粋 ふと意識を目の前の光景に戻した時、政宗は、 自分自身が随分長い間考え事に耽っていたことに気づいた。 先程までぱたぱたと軽快な足音を立てながら遊んでいた子供達は どうやらどこかに行ってしまったらしく、辺りには静寂が広がっていた。 真昼間というのもあってか目の前の縁側より遠くは眩しい日差しで焼かれ、 影は色濃くなり包みこんでいる空間を冷やしている。 それを左目でちらと見て、政宗は再び手持ちの本に意識を戻そうとして、 腕に巻いていた細長く丈夫な赤い布切れへと視線を移した。 大してあっという程の材質ではないというのに、 政宗がこれをあのぞっとするまで白い顔をした幸村から受け取ってから破れた事がない。 暗黙が示す、死に至ったという事実を飲み込みながらも、 右手を彼の唇に触れさせれば、何故か唇はまだほんのりと湿っていた。 思い出はいつだったか、はっきりと明確に日時までは思い出させない。 あまりにも急な流行病の感染から発病までの期間、 病があると分かった頃には手遅れだった、というのは覚えているものの。 蒼白な顔をして、けれどもあの意志の強い瞳を決して現実から逸らさずに、 幸村は戦場で身に着けていた鉢巻を政宗に預けた。 日本一の兵と言われる幸村とて一度も死を恐れたことはないということはない。 この時も恐怖と恐れに幸村は震えていたように思う。 元々肌が白いというのも手伝い、 奥州から上田城へ馬を飛ばして来た政宗の目には、人形のようにも見えてしまった。 そして同時に、ああ、死んでしまうのか、 こんなにも呆気なくこいつは俺の目の前からまた消えてしまうのか、と絶望を舐めた。 ただ不思議なのは、 あの時はまったく失うことによる後悔や悲しみといった感情とは無縁の、思念をまったく伴わない絶望だったことで。 かたん、と音を立てて、大事な何かが手元からあっと言う間もないままに消えてしまったのだ、 ということ位しか政宗は覚えていない。 果たして零れ落ちた物が平和な日常だったのか、 傍らで生きていた温もりだったのか…そんなことでさえ経過した時間によって暈される。 追憶には時間も空気の流れも伴わない、 ただ思い出としてあの日あった出来事が脳内で繰り返され、またそれは闇に葬られた。 天下統一を果たさねばならない、死んでしまった者達の為に、 犠牲となったありとあらゆる物事に対しても。 どれ位時間が経ったのか、政宗は目で辿っていた本の一部分から顔を上げ、 凝っていた肩を揉み解して背伸びをした。 白昼であることからまだ1、2時間程度しか経過しておらず、 子供たちの遊ぶ声が再びしていることが分かる。 こうして世界は堂々巡り同じようで少しずつ違っている日々を作り出しては周り、 政宗にぽっかりと空いた空洞を思い出させる。 独眼竜が天下を取るまで涙など漏らしてはいけない、投げ出してはいけない、 ただひたすらに、前を向いて踏み進まなくてはいけない。 (政宗殿、とあいつが俺を呼ぶ声が、俺を導くのならば)

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