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愛情というもの、愛や恋と人が呼んでいるもの、 そういった部類の物はきっと今自分達の隙間にはない、と幸村は思った。 唯一無二なほど、ずっといつまでも傍に居たいという、 その感情があまり良くは分かっていない。 隣にいて、一言か二言たまに言葉を交わしたり、 たまに政宗が幸村を連れてどこかへ遠乗りする、その帰りも少し言葉を交わす。 それだけでも愛とか恋なのだと言えるなら、 ひょっとしたら少し距離を置いている自分達の間にも愛とやらはあるのだろうか。 いや、無いだろう。 これから先、数十年か数年か数日後かは知らないけれど、 お互いのどちらかが死んでも死ななくても。 もうすぐ冬が訪れる上田の屋敷でうつら、うつらとしている政宗の隣で、 はっとした幸村は瞑想をしていた頭を止めた。 正座の姿勢のままでずっと縁側に座っていた幸村のほっそりとした右肩に、 政宗がその頭を預けて気持ち良さそうに眠っている。 無意識にそうした姿勢になったのかも知れなかったが、 幸村は自身の長い髪を政宗の邪魔にならないよう静かに左肩にかけた。 ふとしてはっとしてあっと言ってそしてほんの少し、 二人はそうやって今までを過ごしてきた、今まで隣で呼吸をしていた。 一瞬のようで、なのにもう数ヶ月が経って、 政宗は幸村の身体の何処かにじんわりと浸透して、徐々に慣れさせていく。 (俺はまるで、水を受ける華の様) 不自然だと感じていたその雰囲気も、嫌いだと言った筈の煙の匂いも、 皆時が経てばそれが当たり前のように感じられる。 逆に、それが政宗から感じられないと、何故か心の何処かで、 ああ、いつもの政宗殿と違う、と幸村は思った。 けれども、恋人ではない。身体を重ねた事も今までに数回位あったが、 二人はいつもの二人に違いなく、互いに笑う。 機嫌が良ければ、近頃でもきっとまた身体を重ねるかもしれない。 でもそれは、愛情表現とか愛撫といったのとは違うのだ。 屁理屈かもしれないが、もう大分お互いのことを知った今でも、 結局ちっとも複雑極まりないこの関係を掴めていない。 「政宗殿、起きて下され。もうすぐ夜でござる」 「ん……あぁ、そう、だな」 両目を閉じたままでぐん、 と背伸びをした政宗が大きな欠伸をして、こきりと肩を鳴らす。 肩の重量感がなくなったので立ち上がろうとし、 腰を上げた幸村の長い髪が突然真っ直ぐになって思わず幸村はあっと小さく叫んだ。 くくく、と喉の奥で笑っている声がして後ろを振り向けば、 予想通りなことに政宗の指がしっかりと髪を引っ張っている。 「ま、政宗殿、悪戯は止めて欲しいのだが」 「悪ぃ悪ぃ。ついつい手が伸びちまった」 「ついつい、ではないであろう、そうされると髪が痛む!」 日本人にしては色素が大分薄い茶髪を指で梳きながらも、 政宗は幸村の願いを聞き入れず、再び面白そうに笑った。 それも戦場で普段見せるような、あのにやりとした笑みではなく、 心底から来ているさも面白いとばかりの笑い声を出しながら。 政宗殿、と呆れたように幸村が静かにため息を吐いて政宗の指に手をかけ、 一本一本髪から引き剥がして髪を結いなおす。 「何もそこまで長くしなくてもいいじゃねぇか。 もうちょっとだけ短くすれば似合うぜ?」 「いや、某はこの長さが一番好きなのでござる。 お館様にこの長さが似合うと褒められたのだ」 「……理由はそれか。アンタ意外と単純だな」 呆れたような表情で政宗が幸村の肩に顎を乗せ、ぐっと前のめりに体重をかけた。 無論、日々の鍛錬によって無駄のない身体を そっと抱きすくめる体制へと必然的になり、幸村は小さく驚きの声を上げる。 さらさらと色素の薄い髪が、小さくも大きくもない、 けれど全てを背負い込む背中にかかっていく。 「お館様お館様って、幸村は本当に信玄のおっさんを尊敬しすぎじゃねぇのか」 (ああ、でも、本当は違う、) 「偶には愛してるの一言くらい言え」 不機嫌そうに眉をしかめて政宗がもう一つ、 はぁとため息を夕暮れの空に吐き出した。 幸村が静かに項垂れて自分を抱きすくめている腕に身体を寄せて、 大人しく数分の間肌寒い庭に面した部屋の空気を吸った。 (きっとこれは願掛けなのだ、ずっとこの人の傍にいられるようにと) 「けど、このままでも良いな。戦の時着てる紅い衣装に似合う」 (この思いが一生の思い出になるように、俺はきっとこの髪に思いを託しているのだ) かあかあと何処かでカラスが鳴いているのを聞きながら、幸村はそっと目を開けて、 「愛しておりまする、政宗殿」