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嗚、嗚呼、この惨状は何だ、どうしてこんなに地面も青空も あんなに生い茂っていた若草も皆赤い?おまけに、鉄の匂いも漂っている。 小刻みにけれど大きく震えながらも二槍を手放さず、また、 この紅い世界の中で立派にその足で立ち、自分は唯一呼吸をしていた。 誰もかもが首を裂かれ、肉は腐り、衣服は血に染められ、 こうまでしなくてはどうして生きれないのか思わずには居られない。 欠陥品のように耳の鼓膜はもう何の音でも震えない。 風が髪を梳くのに、身体は変に強張って思うように動いてもくれずに止まっている。 (皆、俺が、刻んだ) 無我夢中でひたすら戦場を突っ切り、敵も味方も分からない場所で、 ただ、目前の人間の首を真っ直ぐに引き裂いた。 幸運なことに(同時に不運なことに)、その場所には味方は一人も居なかった、 だから敵だけを切り進んでいったのだろう。 けれども、自身の目に映るのは地獄絵図のような戦後の野原なのだ。 これは間違いなく現実の光景だったのだ。 歯が振るえ、重なり、かち、と不気味なほど小気味の良い音を立てては その隙間から吐息が宙に吐き出されていく。 ぐずりと足元の生暖かい死体がゆっくり崩れていくのを感じ、思わず小さく身震いをした。 「旦那、」 自分と同じように衣服を真っ赤に染めた佐助がこちらへと素早く駆け寄ってきて、 大丈夫か心配そうに眉を顰める。 大したことはない掠り傷だというのに、大袈裟なほど驚いて、 こりゃ消毒しなきゃ膿になるよ、と清潔な包帯で巻いてくれた。 塩辛い涙が唇の端に垂れ、舌にゆっくりと染みていくのを感じて、 すん、と鼻を小さく鳴らす。 いつもとちっとも変わらずに自分の世話を 見てくれている佐助に対してではない安堵の息を漏らした。 そうやって、ぐずぐずと幼子みたいに泣いていた自分に対して、 佐助は何度も何度も言い聞かせてくれる。 大丈夫大丈夫、最初は怖いけれど、後々はまったく怖くないんだよ旦那、 もっと強くなろうね、明日はちゃんと寝れば大丈夫。 旦那はよくやったね、 と汗でぐっしょりになった頭を撫でて、何度も何度も佐助は言った。 (ああ、ちゃんとこの人は生きている、 きっとそう思いながら、佐助は何度も何度も俺の頭を撫でたのだ) *** あれから数年が経って、 この身体の傷は浅いのと深いのとを合わせれば十以上は増えた。 紅蓮の炎が屍を焦がし燃やして消しつくしても、 もう昔のように恐れることなど殆ど無くなった、だから心は武士になっている。 瞳の縁、その上に自分の指を乗せ、 篭っている悲しさと空しさの噛み合っている熱を抑えて、静かに息を吸った。 独眼竜の如く、目の前のこの人はいつまでも独りでいると自分には分かる、 けれど同情などは無用だとも知っている。 「…政宗殿」 そっと手を暗闇の中で正面に立っているだろう彼の頬に近づけて、 薬指の上を流れていく雨の感覚に目を瞑った。 土砂降りの夜は何も見えないのだ、この人はそれを知って自分に会いに来たんだろうか、 だとしたら俺は何をするべきか。 冷たい雨に打たれながらも、彼は俺の手を拒まずにじっと目を瞑って、 力強くこの肩を抱き寄せる。 (あなたは、一体、その右目で、何を見てきたのだ) 「なあ、幸村」 (何も見えない目で、ずっと独りでいたのか) ざあざあと土砂降りは雑音となって低い声音を掻き消そうとして、 彼は少しだけ泣きそうな、大きい声で呟いた。 戦場を抜けて逃げ込んだ森は雨宿りには向いていない、それに俺は、 「何でお前は、泣かない?」 (…俺のいた軍は全滅したんだろう、この人によって) 俺は、修羅となれきれなかった。 (…初陣のときにきっと失くしてしまったのだ、) 「幸村、いいのか、お前は」 「某の目はあなたの右目と同じように、涙をなくしてしまったのだ」 嫌悪することが出来ない人を、どうしてこの両手で息絶えさせられる、 俺はまだ人だから、そんなことは、 「どうしてか、泣くというのが思い出せませぬ」