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長閑で優しい春の昼下がり、 大樹の傍近くの静かで穏やかな森に、エルディの無邪気な笑い声が響いていた。 子供だけれど、一応守人であるレキウスは、人を包む空気に交わる「匂い」というのに敏感だ。 森は危険だから、と村の大人が 遊び好きなエルディ達の為に指定した近所の森は、いつだって日溜りの匂いがする。 ちょっとだけ咽そうな、小麦粉に似ている、 あの不思議な匂いは、元気一杯に遊ぶ、エルディの匂いに似ていた。 エルディが許可を貰った場所から少し距離を置いたと気付いたレキウスは、 一人で空咳をして、走り回るエルディを追った。 「エル、そっちは行ったらいけないよ!」 「分かってるよ!ちょっとはみ出ただけだから。 草原のむこうに、めずらしい花があったんだ」 ほら、と背の高い草の中、埋もれそうになっている橙色の花を指差し、 エルディは残念そうに口を尖らせた。 忠告を言ったレキウスの方が大人に思えるが、 二人の間には年齢差はほとんど無く、実はレキウスが年下なのである。 「リチアにあげたら喜ぶかな、と思ったのに…」 「仕方ないな。僕がとってあげるよ。エルはここで待ってて」 僕は守人だから、きっと怒られなくて済むし、と 野原の中、色鮮やかな花をレキウスは傷つけないようにそっと摘んだ。 手渡された花を大事そうに持ちながら、エルディは顔の満面に笑みを湛えて、 ありがとう、と大急ぎで村へと走っていった。 その活発で忙しないエルディに少しばかり呆気に取られながらも、 レキウスには人の役に立てた、ということは嬉しかった。 「焦って転ぶなよ、エル!」 「大丈夫、大丈夫!急がないと花がしおれちゃうよ!」 エルディが駆け下りていった小高い丘に立つレキウスからは、 平和な暮らしを送っている樹の村の様子が人目で分かる。 太陽の光に透かされた木漏れ日が 風によってほんの少しずれ、レキウスの頭上を小鳥が数匹飛んでいった。 風に吹かれた若草が揺れると、 レキウスのいる広い草原の上を走る波が出来上がり、彼を急かす様に通り過ぎた。 「レックー!早く来いよ!」 「分かった!」 大樹の周りを囲むように造られた樹の村の入り口付近で、 エルディが大声を出してレキウスを呼んだ。 千年前、呪いによって石と化したイルージャ島の中心にあるマナの樹は、 今なおその身に様々な草木を生やしている。 その頃のエルディには友人が少なく、いつも幼馴染のレキウスと一緒に遊んでいた。 出身がイルージャではなく、樹の民でない彼の容姿は明らかに村人と違うけれど、 そんなことをレキウスは気にしたりはしない。 無邪気に遊んでいる友人の素直な性格とその暖かい優しさは、 樹の民と同じ、深くて暖かいもので、友達皆に好かれていた。 エルディに友人が増えていく時、レキウスは子供ならば誰もが持つちっぽけな悲しさを味わった。 沢山友人が出来れば、 いつか自分はどうでも良い存在になるのではないか、とそのことが心配になったのだ。 その日、早速そのことをエルディに話した所、 「そんなことない」、と言った傍から即座に、きっぱりと否定された。 親がいないエルディの住む、村の村長の家は 他の住民の家より広く、二人がいた居間には陽光が差すように設計されている。 村長とその奥さんには子供がおらず、 エルディがこの島に流れ着いた時は、親の代わりに世話をしてくれたそうだ。 レキウスとエルディは、二人には少し高過ぎる木の椅子からぷらり、と足をぶら下げて、 今日採ってきた草花を見ていた。 村長の奥さんがいる台所からはシチューの香りが漂い、時刻が夕暮れ時であることを知らしてくれる。 家に取り付けられた煙突からは 優しい湯気がふわふわと橙色の空に舞い上がり、途中でぽっかりと消えていった。 「レキウスは俺の親友だっていっただろ?あ、リチアも、だけど」 「ありがとう、エル」 「どういたしまして」 テーブルに出された、村長が裏庭で育てているハーブの紅茶と、色とりどりの茶菓子を食べながら、 二人は笑いあった。 一ヶ月に一度ある会議を終えて帰ってきた村長は、 レキウスに、一緒に夕食を食べようか、と誘ってくれた。 勿論、レキウスは、頂きますと言い、 そのことを両親に伝える為に一旦自分の家に帰ることにし、家を出て行った。 「良い友達を持ったのう、エルディ」 親とも言える村長に一番の友達を褒められ、エルディは「へへへ」と笑いながら頷いた。 もうじき出来上がるシチューの匂いを楽しみながら、村長はそんなエルディの頭を撫でてやった。 それは、まだレキウスとエルディが幼く、エルディが剣なんて握ったことがなかったころ。 女神が愛したこの世界と、彼の運命をがらり、と変える物語の始まる、ちょっとばかり昔のころ。