夜更けの刻、色の反転された世界の中、 唯一色の変わらない白い砂浜に焚き火が一つ、それに人影が一つ。 後ろの青が勝った緑色をした森林から は絶え間なく邪悪な存在が溢れ出してい、島自体がもはや汚染され尽くしていた。 世界全体が危機に陥っている中、 エルディは空中にふわ、と浮かんでいる物を見るような目で彼方の水平線を眺めていた。 頭上にぽっかりと穴が開いた濃紫の空が落ちる地平線は いっそ不気味なほど、しんと静まり返ってイルージャを包んでいる。 ファ・ディールの全ての場所、ありとあらゆる人々――― 立場も年齢も性別も関係ない人々が明日また狙われる。 たとえこの島から逃げ出し、 他国の何処かへと逃げても、邪精霊はしつこく人々の後を追いかけ、都市を殲滅した。 連合軍と共にエルディが救助へと向かったジャド国の首都では、 その事態の深刻さをありありと随所に表していた。 絶え間なく響く悲鳴や泣き声、 助けてくれと叫んだ傍から暗闇の中へと消えていく人、一気に空に響いていた複数の悲鳴。 それはまるで、悲鳴と断末魔の不協和音でコーラスをしているような具合だった。 元凶である禍々しい大樹から更に邪精霊が今以上に湧き出てくることだけは、何が何でも止めなければならない。 今は亡き親友であるレキウスの為にも、島で待つリチアの為にも、生きとし生きる物全ての為にも。 親友の変わり果てた姿を見て、 エルディはその心に悲しみと憎しみを静かに宿らせ、彼が倒れた時、密かに涙した。 やっと再会を果たしたと思えば傷つけ合い、殺し合い、 お互いを苦しめあうなど、エルディは望んでいない。 今は焚き火の明かりが届く範囲の場所で眠ってしまっているフィーが勇気付けてくれなければ、 ここまで頑張れなかっただろう。 仮面の導師が最後にエルディに言った、ストラウドが彼の兄である、という事も今のエルディを苦しめていた。 生まれ育ち、大好きだったイルージャを侵攻し魔界の扉を開いた狂気の王、 人間らしさを感じないあの冷たい目。 あれほど憎んでいた相手が、島に流れ着いた幼少の頃よりエルディが必死に探し求めていた自分の肉親なのだ。 大樹の根元にある村で育ちながら、幼い自分が待ち望んでいた自分の兄弟を、 果たしてあっさりと切り捨てられるのだろうか。 紫色の波が優しく浜に押し寄せては引いていき、砂浜をしっとりと少し湿らせる。 色こそ違えど、 島の自然全ては紛れもないイルージャの自然、イルージャそのもの、エルディを育ててくれた命の母と父。 不思議なことにエルディは、 邪精霊に抗おうとする島の自然と人々の鼓動が、浜辺で焚き火を見つめている自分を応援してくれている気がした。 さあ頑張りなさい、小さなエルディ。この島に愛されたお前は一人ではないよ、私達がいるよ、と。 それは、ファ・ディールの何処かから島に流れ着いたエルディがまだ幼く、まだ剣を握ることを知らなかった頃。 木漏れ日の差す暖かな昼下がり、 エルディは一本の木に同じことを言われた気がして、毎日その木の元へ通ったものだった。 あの日からずっと、毎日その木の元へ行って、穏やかな水平線の彼方に夕日が消えるまで一緒にいた。 彼が成長し、仲の良い友人が増え始めると、いつしかエルディは木の元へ行くのを、ぴたりとやめてしまった。 そっと自分を見守ってくれた村長にあまり心配はかけたくなかったし、 その行為が子供っぽくてこそばゆかったのだ。 幼馴染がいるような暖かさを幼いエルディに与えてくれたあの木は、今どうなってしまっただろう。 さわさわと背後の森が囁き、魔界と化した世界に朝が訪れた事を、浜辺のエルディに教えてくれる。 朝焼けを眺めながらエルディは静かに目を閉じ、邪精霊に抗いながら救いを待つイルージャの自然に感謝した。 そして、誰にでもなく、覚悟を決めた心のままで呟いた。 「明日、全ての決着をつけるんだ」 必ず…この手で。 自分の大好きなイルージャを、リチアの愛したファ・ディールを、永劫に続く尊い未来に繋げる為に。

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