初夏の、そのまた始まりの、暖かな日差しと涼しげな風が頬を撫ぜ、 俺の周りの空気を少しずつ冷やしていく。 爽やかな色をした青空と、その下に広がる、美しい青緑の草原に、 それに咲き誇る小さな、名前も知らない黄色の花がある。 ひゅう、と鳴り響く強い風に、俺は一瞬目を瞑り、それから、 それから、俺に微笑む彼女を見上げた。 綺麗な長い髪と、淡い桃色のスカートを風にたなびかせながら、 彼女はゆっくり、ゆっくり、こちらへと歩み寄ってくる。 「リチア、見てみろ、綺麗だろう?」 「ええ、とっても綺麗ね、エル」 「この間、散歩の時に見つけたんだ。リチアに教えたくてさ」 リチアの、柔らかくて暖かくて、俺が力任せに握ったら壊れそうな 小さな手を引っ張り、近場の岩の上に座った。 野生の花が群生する草原なんて、其処彼処に存在するけれど、 こんなに綺麗な景色は見たことが無かったから、見せたかった。 風が草原を走り抜ける旅、リチアの長い髪がさらさらと風に流され、 足元に咲き誇る花々も、ふわり、ふわりと揺れている。 どうして、この風はとても気持ちが良いんだろう。 握る手の温もりが涙が出るほど嬉しくて、俺は空を見上げた。 「ねえ、エル?…また来年も、ここに来て良いかしら?」 「もちろん構わないよ。リチアなら、何時だって構わない」 「嬉しい、じゃあ、プックも連れて来てね。久しぶりに会いたいわ」 「ああ… 分かったよ、リチア、約束する」 葉擦れのような、柔らかい微笑みを浮かべた、華奢なリチアの輪郭が、少しぶれて、 俺はようやく、その違和感に気づいた。 懐かしい匂い、そうだ、咲き誇る花の蜜のようなリチアの匂い、 どうしてもっと大切に見て、聞いて、感じていなかったんだろう。 リチアは幸せそうに微笑んで、俺の髪に黄色の花を二つ、かんざしみたいに挿した。 髪に触れる柔らかい手の感覚を忘れたくなくて、 俺はじっと神経を研ぎ澄まし、彼女の瞳をじっと見つめ、その暖かさを感じる。 「リチア、」 「なあに、エル?」 「来年も会いに来るよ。その次の年も、五年後も、十年後も、きっと、会いに来る。  …だから、その日は…今日の日にちには…ここにいてくれるか?」 少し、草原に差す陽光が陰り、肌で感じる程度の寒さを感じた。 リチア、…リチア、もういなくなってしまった、大切だった、愛していた。 リチア、どんな風に笑ってたか、どんな食べ物が好きだったか、 全部ずっと忘れない、絶対に。 「ええ、約束するわ。 必ずここにいるから、会いに来て、エルディ。  私と、フィーに」 一瞬、強い風が吹いて、草原のありとあらゆる色の花弁が一斉に宙を舞い、 俺とリチアの間を通り抜け、俺は、瞬いてしまった。 確かに存在していた温もりが、いとも簡単に俺の手からすり抜け、 何処かへと走り去っていくのを聞く。 ぽつんと独り、俺は草原の上の、小さな座るのに丁度良い岩に座り、 温もりの消えてしまった右隣を見て、惚けていた。 そうだ、俺は一人だったんだ。 すっかり、忘れていた。 彼女があまりに自然に隣にいたものだから。 「会いに来るよ、リチア、フィー。何があっても、必ず俺の心はここにあるよ」 遠くに見える大樹にそう呟き、旅行鞄を背負いなおし、 俺は立ち上がり、草原を歩いて渡り、白い小道をまた歩き出した。 背後でのうのうと聳え立つ大樹、それに宿っている彼女が、微笑み返した気がした。

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