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その日、ロリマーの王宮では、政治関係者や高名な学者、貴族を招いた盛大なパーティが開かれていた。 勝ち戦によって新たな領土を広げた記念だったか、女王の誕生日記念の為であったか、 ストラウドにとっては興味はない。 前々から計画していた事を実行する、 という考えだけが未だ少年の域を脱しないストラウドには重要だった。 そう、去年生まれた彼とは似ても似つかぬ金髪碧眼の弟、第二王子エルディを除外すること。 今盛大なパーティが行われている大広間から遠く離れた奥にあった、 子供のための部屋はひっそりと静まり返っている。 母親の胎内から出て、たった一年しか生きていない弟を、 ストラウドは軽々と、しかし驚かせないように両腕で抱き上げた。 まだ言葉を知らないエルディが、兄の顔を見てさも嬉しそうに小さく笑い、手足を少しじたばたさせる。 「大人しくしてろ」 ストラウドが小声で諌めると、 従順なのか、それとも諌めた兄の顔が怖かったのか、弟はすぐに黙り、目を瞬いた。 無邪気でいて純粋な赤ん坊を見れば、大抵は微笑ましい気持ちになるが、 ストラウドは僅かばかりもそう思わない。 幼いということ、 そして母親から濃く受け継がれた容姿から、エルディは王宮内の人々の期待を一身に買っている。 一方、まだ子供でありながらも、大人顔負けに賢く、武芸に長けたストラウドは 母親以外には疎ましがられてばかりいた。 ロリマー前国王、ストラウドの父親は、 他国にいるような凡人の国王だった、だから父でさえも彼を嫌っていたらしい。 その父親は一昨年ロリマーを襲った感染病によって命を落とし、今は代理として母が女王を務めている。 女王となった母とて、身体の丈夫な人ではなく、むしろ病弱で佳人薄命、という言葉の似合う人だ。 決して長生きは出来ないだろう、と王宮内の誰もが思っている。 母が倒れれば、次の王はストラウドか、それともエルディか…… いや、絶対に自分がならなければ、とストラウドは 心中で硬く拳を握り締め、常に歯噛みしてチャンスを狙っていた。 幼少の弟が即位しても、体の良い操り人形にされてしまい、ロリマーは潰れるだろう。 それは避けねばなるまい。 何より、ストラウドは自他共に認める才能の、更なる開花が始まろうとしているのを感じていた。 常日頃からのエルディに対する鬱憤と劣等感が、 ストラウドの中の怒りと憎しみをより濃く、より強くする。 そしてその強い憎しみ、怒り、寂しさが、 今の非道な行いをストラウドの心に薄暗く閃かせ、今日実行させてしまった。 王宮の東の棟にあるエルディが眠っていた部屋から廊下に出ると、 奥にあるテラスから海風がストラウドの髪を揺らした。 いつもは一人で、夕暮れ時の海をじっと見つめ、今日の事を振り返ることだけを行う、 広々とした白大理石のテラス。 今のストラウドの目には 生涯で一度しか行わない肉親の殺人を行う、見た目だけは美しい、蒼い死刑場にしか映らない。 大空を自由に飛び回っているカモメの内の一匹が、 テラスに現れた二人の近くを泳ぐように行ったり来たりしている。 くぁあ、と呑気な鳴き声に対して、ストラウドは普通の少年が浮かべることの出来ない嘲笑を浮かべた。 「恨むなら自分を恨め、」 廊下を歩いている内に眠ってしまった弟の寝顔に、 単調な声で囁くと、ストラウドの手によってエルディが投げられた。 波が穏やかな、満ち潮の昼間の海に、重力に従ってゆっくりと白い布の塊が、幼い弟が落ちていく。 ストラウドはその間じっとテラスから海面を伺っていたが、大広間からの悲鳴を耳にし、その場を後にした。 パーティの真っ最中に 主催者であり国の最高峰に立つ女王が突然倒れ、大広間は大混乱に陥っていたのだった。 何故か、唯一自分を愛し、優しく接してくれていた母親の突然な死にも、 ストラウドはその顔色を変えることはなかった。 彼の子供らしい一面である純粋な愛情が枯れ果てたのか、 ショックで表情も浮かべられないのか、誰も分からない。 いずれにせよ、 女王が死んだという噂は一日でロリマー中に広がり、エルディの死についてはうやむやになった。 無慈悲で残酷なストラウドの行為によって消えた第二王子の存在は、いつしか幻になり、消えていく。 イルージャ島はいつもと変わらない、閉鎖されていながらも自然の豊かな、美しい景色である。 そんな島の、大樹の近く、小さな村を治める村長は、気分転換とパトロールを兼ねて海辺沿いを散歩していた。 貝がら海岸に散らばる綺麗な色の貝を拾おうと背を屈めたとき、村長は海辺の様子が違うことに気付いた。 「ん?なんじゃ、あれは…」 少し海水が染みこんだ上質な白い絹の布で包まれた、金髪の赤ん坊が静かな浜に流れ着いている。 下界の何処かで誰かが誤って落とし、広い海を漂い、奇跡的にこのイルージャ島へ辿り着いた小さな命。 びしょ濡れになっていた布の端にあった名前の刺繍から、赤ん坊は「エルディ」という名前であることが分かった。 「うむ、この子はわしが育てよう」 上質な衣服を着た恐らく貴族の子であろう子供を優しく抱き上げ微笑むと、村長は貝がら海岸を後にした。