アーシュが行方不明になった、と兵士から聞いた時、 「やはり、な」と思わずにはいられなかった。 不機嫌そうに目を細めると、 あいつが見れば、きっと「きれい」だと言う様な月が出ていた、 あの夜のことだった、と伝えられた。 珍しくアーシュが夜の海を見たい、と言い出したあの夜は、 波も穏やかで見回り用の軍艦から海を眺めるには最適だった。 あれが我侭や不満をあまり言わなかったのは、 恐らく俺が起こした騒動にまだ躊躇いや戸惑いを覚えていたからだろう。 俺から見ればくだらない儀式に、一握りの刺激を加えてやったに過ぎず、 血など恐れるに足りぬ、ただの余興だった。 『……俺にはできない、あんなことは、できない』 『いつかはしなければならぬことだ』 『それでも、無理だと思う』 三日前、最後にあれの部屋を訪ねた時、 俺の姿を見たあれが零した言葉が未だに耳に残って煩わしい。 太陽の光が柔らかく差す南の庭に面した部屋の中は、 ベッドや勉強用に備え付けられた机に散らばった画用紙で埋め尽くされていた。 その内の一つを手に取ると、 美術面には疎い俺でさえ一瞬目を疑うような、 七色の海が色鉛筆で描かれていた。 「これは何だ?」 「…絵だよ。  最近はあんまり勉強が難しくないから、暇つぶしに描いてるんだ」 「くだらんな」 「兄上にはくだらなくても、俺にはくだらなくないんだ」 今考えれば、あれが絵を書き出した時期というのは、 あれの母親が心労に倒れて寝込み始めてからというもの。 俺からしてみればくだらない、 自身に渦巻く感情の渦に押しつぶされそうなのを、 絵に向かって吐き出していたのか。 ばらばらになった画用紙を一枚、また一枚と拾って整え、 机の上に重ねていく弟の姿は、何処となく不安定に見えた。 いつか感情の揺らぎに耐え切れずに暴走するだろう。 それが、俺の見解だった。 己が道の邪魔ではない、が、 有益でもないアーシュは、俺にとっては理解者だった、 だから殺しはしなかった。 しかし「生きて欲しい」と思う程大切な者ではなく、 むしろ、アーシュから殺すなら殺せと常日頃から言う始末だった。 確実に歪み始めたアーシュをこのまま野放しにするのも如何かと思い、 あの夜だけ特別に我侭を許したのだ。 それが、あれの命を奪うことになるかもしれない、という予感はしていたが、 悔やみはしない。 もしそれで命を落とし、死体ですら見つからぬと言うならば、 所詮はその程度の器だった、ということにしよう。 「先週から近海付近を捜索しているのですが、亡骸も見つかっておりません。  もう少し範囲を広げても宜しいかと…」 「…勝手にしろ」 「ハッ、了解しました」 弟の捜査状況を報告したゴーレムは金属音を出しながら 行進するかのような足踏みをしながら立ち去った。 さして気に障るような大袈裟な音ではないというのに、 やけに残響が耳に響き、肩にかかっていた髪を手で退ける。 この道に邪魔な者は誰であれ、排除していかなければならない。 たとえそれが肉親であっても、邪魔ならば、切り裂くのみ。 「所詮はその程度ということか。…情けないことだ」 日差しがいつになく強く思い、ふと閉じた瞼の裏で、 青色の鉛筆で塗られた海の絵が、 それだけが、心の残照のようにぼう、と映った。

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