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真っ白な大理石で出来ている暗い、冷たい廊下で俺は一人、 窓から見える海をずっとずっと眺めていた。 今頃は兄上はきっと、15歳になった暁である「成人の儀」をしているんだろうな、 そう思ったけれど、体は動かない。 そう、いつも、体は動かない、 心や思いはこの体の中では目まぐるしくのた打ち回っているというのに、 いつも。 見事な武術の才を披露する兄上に対する歓声や、 剣同士がぶつかり合う金属音が暫くの間廊下にまで聞こえていた。 あの日父様が亡くなってからというもの、 母様が「政治」というのをすることになって、母様は忙しそうにしている。 母様は俺を一人にするのは可哀相だといって、 ちゃんとした立派な部屋を新しくこのお城に作ってくれて、俺を呼んでくれた。 「これからは一緒よ、アーシュ」 「ありがとう、母様!」 手を引っ張られて入ったその部屋は、俺が落ち着くように淡い青色の壁と、 長い長いレースのカーテンが印象的なもの。 もちろん、備え付けられたベッドも俺の好きな青色と青緑色のクッションが置かれていて、 俺は嬉しくって母様に抱きついた。 母様は俺の好きな青色、海を見るのが好きだってこと、 絵を描くことがもっと好きだってことをよく覚えてくれていた。 こちら側に来てから、俺は兄上と同じように歴史や天文学や、 とにかく色々な勉強ばかりをさせられる。 天文学は面白いことも沢山あったけれど、 他の勉強はあまり面白くなかったし、本当はやりたくもなかった。 俺にとっては目標だった、憧れだった兄上に追いつくために、 意地でも「勉強を止めたい」と言ったりはしなかった。 (これで良いのかな、毎日、毎日、こうして…) こうして自分を押し殺すことばかり覚えて、大人はみんな生きている? 母様も、兄上も、亡くなった父様も? 迷っていても仕方ない、そう思って首をかるく振り、 今まで立っていた窓から離れた。 自分が立っている窓から少し離れた廊下の曲がり角まで行けば、 バルコニーから兄上の姿を見ることが出来る。 「止めなさい!ストラウド!」 バルコニーに通じる扉を両手で開けた時、 母様の甲高い声と、大勢いた大人達が一斉に息を呑む音が耳に入った。 「成人の儀」での事故といったら、(起こるとは思えないけれど) 兄上が剣の披露中に大怪我をすることくらいだろう。 不思議じゃない。 兄上はいつだって勉強も武術の訓練も必死でやっていたから、 体調を崩していても…― 「兄上ッ!?」 蝶番が壊れそうな勢いでバルコニーへの扉を引いて 外へ飛び出した俺の目に映った兄上は、怪我なんかなかった。 怪我がなくて良かったと思う間もなく、 続いて披露の場に真っ赤な色が差し込まれて、俺は思わず息を呑んだ。 ようやく事態を理解した。 少なくともさっき母様が叫んだのは相手の兵士を止める為ではなかった。 「そ、んな……」 目の前で飛び散った赤色が何か、それを理解した途端に怖くなり、 大理石で出来たバルコニーの柵から一歩、二歩後ずさる。 それは「成人の儀」に立ち会った人々も同じらしく、 皆逃げ出しそうな表情で、べっとりと血のついた兄上を見つめていた。 地面に倒れ伏している兵士から流れている血が目から離せず、 かといってこの場にいてはならないようで、俺は立っていた。 ぐらぐらと足が揺れ始めて、喉元から出ようとする叫び声を 片手で抑えている俺に向かって、兄上が振り向く。 恐怖で頭が真っ白になった。 この場に不釣合いな赤色に吐き気がして立っていられない。 (嘘だ、まさか、そんな、兄上が…そんな、人を殺すなんて、) そして兄上は、口をにやりと歪めて、楽しそうに笑った。