物心ついた時から、兄上はいつも俺を遠い、遠い目で見つめていて、 俺はその視線がたまらなく怖かった。 何か俺がヘマをしたり、(兄上にとっては)くだらない失敗をすると、 冷たい二つの青い蒼い目がじっとこちらを睨みつけてくる。 だからいつも俺は、兄上がいる大きな立派に聳えている王城へ向かって、 小さく小さく縮こまって兄上に謝った。 何度も、何度も、 ごめんなさい、ごめんなさい、だから怒らないで、兄上… と。 もちろん、兄上は父様が見ていないほんの少しの間だけは、 俺に優しくしてくれる時もあった。 父様は必ず公務の為に、昼間はあまり兄上や俺の様子を見に来られず、 代わりに兄上が俺の様子を見に来ていた。 厳しい表情しか知らなかった兄上はその日、 いつもよりもずっと穏やかな目で「アーシュ」と俺を呼んでくれる。 「剣を教えてやるからおいで、アーシュ」 「うん!こんどはなにおぼえるの?」 「今度は剣で防御するやり方だ」 閉じ込められている部屋から出て、暖かい日差しの注ぐ広い中庭で、 木刀を持って兄上とはよく「訓練」をした。 兄上は手加減なんてしてはくれなかったけれども、 逆にそれが嬉しくて、次の「訓練」に備えていつも練習をしていた。 こっそり、ひっそり、母様も父様も来ない時間に、 ベッドの下に隠していた小さな木刀で素振りを数回、型を数回切る。 頑張って兄上に勝とう、と練習する内、次第にひゅうっと空気を切り裂く音や、 木刀の手に馴染む感覚が当たり前になった。 それを兄上にこっそり報告すると、兄上は満足そうに笑って俺の頭を撫でてくれた。 こんなに褒められたのは初めてだった。 「お前がどんどん強くなっている証拠だろう」 「おれ、つよくなってる?」 「ああ」 その日、かもめ、という海の上を飛ぶ鳥がたくさん空に飛び上がっていて、 兄上と一緒に飽きるまでずっと見ていた。 夕日に染められて真紅に輝く海を綺麗だと俺が言うと、 兄上は(今考えればきっと父様のことを、)苦々しく言った。 オレンジ色に乱反射する兄上の綺麗な髪が顔にかかっていて、 兄上の表情は見えなかったけれど、兄上は辛そうにしている。 「俺は誰かになど縛られたくない」 兄上、どこか苦しいの?怪我でもしたの? 幼い俺はその腕を取って、何だか分からないけれど 兄上を苦しめているものが、どれほど兄上を追い込んでいるか考えた。 結局考えても結果は見えなかった。 だけれど、兄上はそんな俺の頭を聊か乱暴に撫でて大丈夫だと言った。 *** その日は、父様がいつまで経っても俺の様子を見に来ることが無くって、 こっそり来てくれる兄上もまた、来なかった。 子供だったけれど、何か起こってはならない、大変な事があったのだと 幼い目で、「向こう側」の状況を知った。 暫くして、血相を変えた母様が部屋に入ってきて、 「エルディ、父様が、父様が!」と俺を引っ張って走り出してしまう。 「とうさま、どうしたの?けがをしたの?」 「違うの、違うのよ…。父様は…あの人が、死んでしまったのよ、アーシュ…」 「……」 母様に連れられて辿り着いたのは、普段俺があまり来られない、 父様の立派で豪華で、とっても綺麗な部屋。 たくさん人が悲しみながらベッドを囲んでいる。 父様はベッドの中で静かに、眠ってるみたいに横たわっていた。 父様は、死んでしまった。 厳しかったけれど大好きだった父様は、死んでしまった。 兄上はベッドの枕元のすぐ傍に、じっと無口で無表情で佇んで、 父様の顔をひたすら睨むように見つめていた。 恨むような顔を見て初めて、ずっと一緒だった兄上の事が分からない、と 俺はその時、直感的に感じた。 あにうえ、と乾いた声が口から零れ落ちると、 無表情だった兄上がこちらを振り向き、「大丈夫だ」と口だけで言う。 『怖がらなくても大丈夫だ、アーシュ』 その口元は、穏やかに笑っていた。 父様の死を、まるで心から喜んでるみたいに、笑っていた。

ブラウザバックでお戻り下さい。