思えば、俺がヴァンの泣く姿を見たのは たった一回だけだった。 長くも短くもない年月を共に過ごしたというのに、 結局俺のほうがヴァンに甘えていた。 それでもアイツは何も言わずに俺の弱みを 包み込むようにそっと俺を抱きしめていた。 俺に初めて涙を見せた時は、 それはガブラスが死んで、全てが終わった瞬間… 俺たちの誰もが疲れ果てた時だと思う。 無言で俺の目をじっと見つめたかと思えば、 ヴァンは静かに…嗚咽も漏らさずに泣いていた。 どうしたんだ、どこか痛いのか? 心配して訊いてもただ横に首を振り、泣く。 じん、と心に染みるように美しい泣き顔だった。 肌触りがいいシーツの感触で目が覚める。 いつの間にか寝入ってしまったらしい。 白で塗られた壁の病室には俺と、死んだように 眠っている患者以外いなかった。 「もう朝か…」 ふと、座っている椅子の隣にあるサイドテーブル の上に乗っている花瓶に目が行く。 部屋と同じ白の花瓶には赤いガルバナが、 誰かの好意によって数本生けてあった。 視線を備えつけられているベッドに移す。 ヴァンは三日経つというのに、一向に目覚める 気配が見えない。 呼吸する度に上下する平らな胸をじっと眺めた。 大丈夫だ、ここにコイツは生きている… そうやって自分自身に言うように、 何をする訳でもなく。 一瞬にして白銀のように輝いていた髪が朱に染まる。 視界に入った光景に、俺は自分の中の「何か」が 壊れそうに悲鳴を上げたのを感じた。 あの時、全ての音が消え去ったようで。 別れた奴が誰よりも大切なことが分かった。 隣にいるアーシェのことよりも、血が出ている 脇腹を押さえて倒れた人影が大切だと。 「…起きたか、ヴァン」 「バルフレア」 音もなく目覚めたヴァンがこちらを向く。 まだ寝ぼけているのか、ゆっくりと目を瞬いて。 生気に満ちた青灰色が情けない顔の俺を映した。 けれど、三年前よりも整った顔は無表情のまま、 以前よりもやつれている。 「ここは?」 「病院だ。あぁ、傷ならもう大丈夫らしい」 痛むのか、脇腹をそっと押さえて頷いた。 「何日間眠ってたんだ、俺?」 「丸三日。…ほら、髪梳いてやるから」 手荷物に入っていた櫛を持ちながら言う。 ヴァンは大人しく起き上がった。 だらしなく垂れ下がっている前髪が輪郭にかかり、 患者である彼をより疲れているように見せていた。 櫛を通すと、細い銀糸は滑らかに指に擦れる。 そのまま少しずつ髪を整えてやった。 梳かれるのが心地良いのか、 ヴァンはずっと目を閉じている。 「ヴァン、お前に言いたいことがある」 「何だよ」 言い出すタイミングが良く分からなかったが、 ヴァンの髪を梳きながら俺はゆっくりと言い始める。 「もう一度…俺達の間をやり直したい」 「例えば?」 そっと目を開けて、元恋人は静かに言った。 怒るまでもなく、ただ落ち着いて。 「アーシェとはあの後、破局してんだ」 「!」 「三日前気づいちまった」 俺はお前の方が大事なんだってな。 こちらに向き直ったヴァンの目が見開かれる。 絹のように滑らかな肌を、つ、と涙が流れた。 初めて見せた時と同じ、感情のない涙。 「もっと、はっきり言ってくれよ。 そんなんじゃ俺、分からないって」 「ヴァン、愛してる」 「バカだなぁアンタ」 誰が馬鹿だ、と毒つく。 文句を言ってくる口がとてつもなく懐かしくて、 ぼろぼろと泣いているヴァンをそっと抱きしめた。 「本当にバカだ。 でもそんなバルフレアがすっごく懐かしい」 「俺もお前のその毒舌が懐かしいさ」 目尻から溢れる涙を口で吸い取りながら、 どちらともなく口付けた。 三年ぶりに触れた唇は太陽の香りがした。 ブラウザバックでお戻りください。