真っ暗な夜明けの空をこれまた真っ赤に染める朝日が上っていく。
朱色と漆黒を銀色のフレームのゴーグルにきらきらと反射させながら、 一人の衛兵―バルフレアは溜息をついた。
彼はコップに注いだコーヒーに口をつける。
そして傍らの岩に寄りかかり、じんわりと身に染みてくる厳しい寒気に腕を摩る。
砂漠の守衛ほど早朝の衛兵勤務が憂鬱なものは無い。

「今朝は特に寒いな…」

面倒くさいことは何一つしたくない。
それを主義としているこの男がわざわざ勤務している理由は二つ。
朝一番に切り立つ崖から望める朝日は彼が最も愛している光景だからなのである。

もう一つは、それを眺めながら飲むコーヒーの味は最高に旨いから。
といういかにも彼らしい、自由気侭の意見そのままの理由だった。


そうして彼はしばらく折り畳み式のパイプ椅子に腰掛けてコーヒーを啜っていた。
地平線の彼方には恐らく、また戦争が始まっている。
時折響く炸裂音と爆発音がそれを暗示していて、男は何も言わずに朝日を眺めた。
彼の眠っていたテントの連なりが崖から少し距離を置いた場所にあった。
ひゅう、と黄砂を含んでざらつく風が彼の髪を揺らす。



「バルフレア隊長、勤務お疲れ」

同じように襟を立て、肩を竦めながら金髪の青年が笑った。
ああ、と素っ気無く返したバルフレアの返答は期待していない。
砂嵐来ますよ。と青年―ヴァンはその背中に言いつつ隣に歩み寄る。
ヴァンが一面砂漠となっている崖下の景色を眩しげに見つめていると、 座っていたバルフレアが突然立ち上がった。
足元で砂がぎゅむ、と小さく音を立てる。

「どうしたんですか」
「お前こそ、その口調はどうしたんだ」

慣れないのか敬語を疑問形がつくような発音で言っていただろ。
しかも俺は、隊長命令でも言ってないな。

とバルフレアに問われ、新入兵は口を噤んだ。
目元まで深く被っている軍帽の鍔がぱたぱたと砂風に揺れている。
隊長格であるバルフレアには顔を向けず、 下を向いたままでヴァンは躊躇うように口を開けた。

「いえ…隊長と俺とでは、身分の差が大きいでしょう?
そんな容易に敬語を使わないことは、…できません」
「じゃ、隊長命令」
「へっ!?」

いきなり顎に手をかけられたヴァンは素っ頓狂な声を上げる。
瞬間的な早業はバルフレアの得意技でもあったことを忘れていたのだ。
身長の高い彼の目線に耐え切れず、ヴァンは顔を逸らした。

「幾ら隊長だからって…アンタ、分かって言ってるだろ」
「ほら、戻ってやがる」
「……。…しまった」

慌てて自分の失言を呪うが、時は既に去っている。
内心舌打ちしながらバルフレアは彼の襟を引っ張った。
どん、と反動でぶつかってきたヴァンは少し震えている。
バルフレアには要因が分からなかった。

「…どうしたヴァン?」
「俺とバルフレアじゃ、身分の位が違うだろ?
敬語で話さないと周りがうるさいし」
「なるほどな」

ともかく、と言い直しつつバルフレアからヴァンは離れる。
軍服に身を包んだ彼の体は一般兵よりも細い。
比較的貧しい家庭で育ち、両親は病死。
おまけに稼ぎ手である兄が病弱だというので彼は戦っている。
本来銃身を掴むことのなかったであろう手には 訓練と戦いの中でした擦り傷があり、砂風により荒れていた。

「何より、アンタとはあまり関わりたくない」
「そりゃまた…随分と冷たいな」
「深く誰かに関われば、いつかその誰かは死ぬ。
そしてまた誰かに関われば…そのまた誰かも同じ道を辿る」

俺の両親も、友達も、皆戦争で死んだ。…兄さんも病気できっと。

淡々と他人事のようにヴァンは呟く。
確かに。確かにそうだ。
バルフレアもまた、そうして母と兄弟を失っていた。

そして、唯一生きていた父とも愛想を尽かして入隊した。
軍隊に入るという行為は彼にとって非現実に逃げる方法で、 一般市民が出た事のない城壁の外に行ける方法だったからである。

だが、それだからといって諦めなかった。
永久的に続く戦争などありはしない。いつかは戦災も静まる。
平和な世界を見る前に死ぬかもしれないと分かっていても、 バルフレアは外の世界を、この砂漠の朝日を見たかった。

「俺だってそう思うさ。
だがな、いつまでも、どこまでも逃げたって同じだ。
……世界の何処かでは必ず人が死ぬぞ」
「………」
「お前や俺が生きている限り、死からは逃げられない。
いい加減に覚悟を決めてくれ」


何秒経ったか、しばらくしてヴァンは溜息を吐いた。
遥か向こうの砂丘にはもう朝日が昇りきって輝いている。
濃紺の軍帽の下から、いつもの穏やかな海が覗く。

「そんなの屁理屈じゃん」
「屁理屈でも理屈でも、どっちみちお前には分からないだろ」
「まぁ、そうかもしれないけどさ」

寒々しい空気によって薄紅色に火照った頬に笑みが浮かんだ。
先程現れていた虚ろな仮面が嘘のように。

そしてヴァンはバルフレアの持っていたカップを掠め取る。
呆気にとられていたバルフレアの顔を見て笑いながら、 中に入っていたコーヒーを一気に飲み干して渡した。

「まさかアンタ、俺がコーヒー飲めないと思ってた?」
「いや、一気飲みできるほど好きじゃない、とは思ってた。
ガキだしな」
「俺だっていつまでもガキじゃないですよー、だ」

それでも彼に(舌を出していたが)敬礼してテントに戻っていく。
小馬鹿にされた方はというと、やられたとばかりに笑った。
軍服の肩がふるふると小刻みに揺れ、端正な顔には似合わない、 心からの笑みがその口元には敷かれている。

「いつも通りのお前過ぎだ、ヴァン!」


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